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今田

天気晴朗! いざ、戦艦三笠へ!


どうもどうも。今週のヒルネット。

今週24日で、ヒルネットも年内の活動おさめとなりました!


ということで、活動おさめは恒例、ちょっと遠出のお出かけ探検活動。

今年も締めは、昨年と同じく横須賀の三笠公園に戦艦を見に行ってきましたよ!

昨年、ここがめっちゃ面白かったので、今年から参加のメンバーにも体験してもらいたいと、再度訪れたわけです。


ということで、早速活動を振り返っていきたいことろなんですが、ちょっと注釈。

全然内容と関係ありませんが、この記事、いまワタクシ関西に帰省する新幹線の中で書いております!(かつスマホ)

で、スマホだと活動記録の写真サイズを、どうも調整できないみたいなんすよねー。


ということで、もしこの記事をPCで読んでいる人がいたら、ごめんなさい。

冒頭からいきなり活動の様子をうつした写真、めっちゃ大きかったと思います。


そして、この後も大きいです。調整できないんでね……。

まあ、読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。東京に帰ったら直します。いやいや、こんな前書き書いちゃったから、もう直せないか。まあ、記念になって良いかな。


とにかく写真がバカでかいのは、そういう理由なんでヨロシク。


閑話休題。

さて、ってなわけで、今度こそ本当に当日の様子を振り返っていきたいと思います。

筆をとるは、もちろん我らが専属記者記者マロ殿。

かなり多忙なはずなれど、年末までに記事を間に合わせてくれました!


ありがとうマロ!

どうか皆さん、忙しくて死にそうな中、なんとか記事を書き上げてくれたマロの努力の結晶を、必ず読んでやってつかーさいね!!


〈今回が今年最後の活動となった。行き先は昨年と同じ場所である。この場所へいくために、あらかじめ事前講習と称して靖国神社遊就館へ行き、日露戦争についての展示を見る予定であったのだが、その計画は遊就館が休館していたことにより日の目を迎えることなく消えた。その行き先は、横須賀に鎮座する戦艦三笠である。


 日露戦争時の連合艦隊旗艦を務め黄海海戦・日本海海戦など数多くの海戦に旗艦として参加した船だ。現在日本に残存するこの時代の軍艦はこの一隻だけである。


 この場所は昨年12月に初めて行くこととなり、それ以降皆の渇望の的となった。しかし、なぜ一年に一度しか行くことがないのか、もちろんそれには理由がある。単純な話だ。横須賀は、あまりにも遠いのである。


 そんなに遠いところになど行くことは出来ない。そう言って皆は脱落していった。無理もない。11時に横須賀に集合するところはいつものとおりであるが、ここでメンバーが勢ぞろいすることはなかった。龍角散が来ない。毎学期最終日に遅刻してくる彼のことであるから、何か考えがあってのことなのだろう。彼を待つ間、ヴェルニー公園内でしばし時間をつぶすことになった。〉


〈しばらく時間が経つと、龍角散が到着した。これで全員が揃ったことになる。これから歩いて戦艦「三笠」へと向かうのだが、いったいこれはどうしたことか、平日だというのに人の数が非常に多い。


 おそらくそのことには、現在再放送中のテレビドラマ「坂の上の雲」が関わっていると予想された。おそらくは日露戦争に関わる場所全て、このような状況に置かれているのだろう。果たしてこれから我々が向かう戦艦「三笠」には、人がどれほどいるのだろうか。あの中に人が大勢いるとなると、じっくりと見て回ることもできない。そのことを考えたためか皆の足は若干早く動き、予定よりも少し早く到着した。このメンバーでは珍しいことで、道中に一切の寄り道をせずに、である。〉


〈このときの時刻は12時と少しであり、我々は後顧の憂いをなくして艦内の見学へ行くために、まずは昼食を摂ることにした。この場所へ今日初めて来る者は一段と高いところへ、昨年ここへ来た者たちは、こそこそと身を縮めて芝生に座る。皆が楽しそうに食事を始めたころ、昨年に引き続き、それはあらわれた。〉

〈そう、トビである。我々の座っている場所のすぐ目の前に位置する「歌碑」から流れ出る「横須賀」の曲に合わせるかのように、突如としてトビの大編隊が我々の頭上に飛来したのだ。〉

〈当初は一糸乱れぬほどの見事な編隊を組んでいた彼らは、我々の頭上に来るとともにその編隊を崩し、隙を窺うかのように頭上旋回を続ける。しばらくして、犠牲者が出た。彼は自身の昼食の三分の一ほどを占めるおにぎりをトビにさらわれ、ただ呆然として空を見つめるばかりであった。彼は怒った。怒って彼らを追いかけ始めた。両手を振り回して我々の頭上から追い払おうとした。


 そのうちに、彼は背を向けて遠方へと走り去っていった。その背後を3機編隊のトビが追撃していく。彼の挺身の作戦によって、われわれの頭上で旋回を続けていたトビたちの半数は、彼を追って姿を消していった。しかし、まだ十数羽のトビが虎視眈々と機会を狙っている。安心して弁当を食べることのできる環境ではなかった。〉


〈十数分が経過した時、メンバーの全員が「三笠」艦上にいた。トビの猛攻から退避してきた皆は、初めて乗る「軍艦」の構造に興味を持っているようだ。上甲板、副砲塔、主砲塔、艦橋と、興味の対象はそこら中にあるのである。


 昨年この場所へ来たことのあるメンバーは、この船の由緒などについて詳しく知ることを目的とした。この艦の来歴や、黄海海戦・日本海海戦などについて、ちょうど手元にあった日本海海戦を描いた吉村昭の「海の史劇」の描写と比較しながら進んで行く。


 本来は20門ほどあったという副砲のうち、現存するのは10門(勿論当時のものではない、レプリカ)のみだという。4門ずつが両舷にあり、残りの二門は前部海図室の両舷、探照灯付近に設置されている。艦型は違うとはいえ、日本海海戦においては露国軍艦は日本水雷艇隊の夜襲を受けた際に、このような艦橋付近の探照灯を用いて応戦したのだろうかと、過去に思いを馳せる。〉


〈館内には「三笠」艦首に実際に付いていたという菊の御紋章や、東郷平八郎の軍服などが展示されており、艦上の構造物にも負けず劣らぬものが揃っている。


 やはり「三笠」はいい。日本海海戦での連合艦隊旗艦という立ち位置だからか、威風堂々たる佇まいなどは「誇り」を感じさせる。同じような目的でも、「遊就館」や「陸奥記念館」ではこうはいかない。あの重苦しい雰囲気が一切備わっていないのだから、「三笠」には老若男女問わず多くの人がやって来ることができる。戦争の負の面を覆い隠すことは決して良くないけれども、誰もが戦争について知ることのできるこのような場所は、貴重ではないだろうか(けっして「遊就館」や「陸奥記念館」を悪く言っているのではない。むしろ、正直なところ私はこちらの重苦しい空気の方が戦争についてよりよく教えてくれると思っている)。〉



〈三笠からは、「猿島」が見える。帝都防衛のための要塞跡が残る猿島にも、また横須賀南部にある観音崎砲台跡にも、一度は行ってみたいものだ。


 昨年よりも三笠の内部部分をじっくりと見ることが叶い、また新たな知識を得ることができた。ここには何度来ても飽きない。ぜひまた来年も、ここに来てみたいものだ。〉


と、こんな感じだった、戦艦三笠の探検。

これ以前、他曜日のグループワークで日本海回線について学んでもいたため、昨年以上に興味深く観て回れましたよ!


さて、ヒルネットもこの日の探検で活動おさめ。

来年は、さらにさらにいろんなことをオモロく楽しく「学んで」いきたいと思います!


では皆さん、良いお年をお迎えください。

来年もよろしくお願いいたします!

それではそれでは!



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