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今田

実験教室&佃島ぶらり旅


どうもどうも。先週のヒルネット。

先週の教室活動では、ハラッパラッパ分隊長による「実験教室」が行われました!


今回の実験は「バスボム作り」

バスボムとは、重曹(炭酸水素ナトリウム)とクエン酸を混ぜ、そこにアロマオイルなどを加えて作る入浴剤。

炭酸水素ナトリウムとクエン酸が水に反応すると二酸化炭素が発生。

シュワシュワーっとなって、アロマの香りとともに入浴剤になるわけですな。

これをみんなで教室で作ろうというわけです。


ということで、まずは準備。教室が汚れるといけませんからね(これは伏線となる。。。)


本棚なんかにブルーシートをかけ、作業するための机の上にも念のため(繰り返すと、これが恐ろしい伏線になる。。。。)。

ということで、皆にも手伝ってもらいながら、準備完了。 時刻は10時50分。ハラッパラッパに今日の実験について説明してもらいます。

「バスボム知ってる!」 「この二つ混ぜて水に入れるとシュワシュワーってなるの?」 「それ中和反応って言うんだぜ」 「知ってる! 二酸化炭素ができるんでしょ?」

「シュワシュワの正体が二酸化炭素なんだよね!」

ってな感じで、特に小学生メンバーたちは興奮気味。

わちゃわちゃ言いながら、楽しそうに早速、実験開始!

重曹とグエン酸をまぜまぜ。食紅で色をつけたり。

なんか白いまま丸めると、団子か何かみたいですな。


お菓子作りなどに使う型を用いて、ちょっと形を工夫してみたり。


おや。。。。。これ、は。。。?

こんな感じで恐ろしいアンパンさんの顔バスボムも作られたりしてます。。


わいわいガヤガヤ騒ぎながら、気づけば1時間半ばかり。

何となく完成!

後は乾かすだけです。


と、ここで第一の悲劇が‼︎

作業をしていたテーブル周辺を片付け始めていたところ、乾かしていたテーブルが!!

こちらのテーブル。天板が取り外し可能となっておったんですな。

で、そいつをひっくり返してしまうという恐怖のハプニング!

イマンモもしばらく固まってしまいました。。。


が! 既にある程度、乾いて固まっていたバスボムたち。

作成完了していたものについては、ほぼ損傷なく、無事だった模様です。良かった〜。


とはいえ、ひっくり返った天板のせいで、舞い散る粉。粉。粉。

粉状の重曹とグエン酸が床に。。。。


というか、このハプニングがなくとも、我々は舐めていた。粉物の実験というヤツを。。。


ブルーシートを外し、床を雑巾掛けしても、なぜか何処からかわいてくる「粉」たち。。。


なんか床がジャリジャリする。。

え? 何でこんなところから粉出てくんの?

ってな感じで、いくら掃除してもなかなかパーフェクトに痕跡を消すことができない。。。

こんなに掃除するなら、そもそもあのブルーシートは何だったのか。。。


そんな絶望感に襲われながらも、メンバーみんなで何とか教室をきれいに掃除しました。。

そのとき、時刻は既に1時を回っていた。。。


まあ、でも、こんな感じでバスボムはきれいに?作れたし、何やかんで楽しい時間でした!






そんな実験教室の翌々日。お出かけ探検活動。

今週は築地本願寺を見学→勝鬨橋をわたって月島&佃島を見て回る→人形町で水天宮などを参詣、というコースを散策しました。


そんなわけで、まずは築地に集合。

築地本願寺を参詣・見学します。

最初は訪れた誰もが「えっ?これほんとに寺なの?」という感想を抱きがちな、伝統ある寺社らしからぬ威容に目を見張る、こちらの寺院。

実は「建築」なる用語自体を「発明」した明治のレジェンド的建築家・理論家の伊東忠太の作品であり、そのモチーフは仏教の本場、インドから取られたものです。





築地本願寺はもともと浅草周辺にあったものが、明暦の大火で焼けてしまい、こちらに場所を移したのが起源。

当時、この場所はまだ「海」であったため(場所を指名したのは幕府。ひどいな幕府)、佃島の信徒たちが私財を持ち寄り何とかこの地を埋め立て建立したのだとか。

それに由来して、地名も「築地」となったそうですね。




なんてことを話しながら、築地本願寺を後に。

少し歩くと見えて来ました隅田川。そして、勝鬨橋!

勝鬨橋は知っての通り、かつては隅田川を運行する船のために跳開する橋でした。

日露戦争時の旅順攻略を記念して「勝鬨」という名を関する橋として作られたそうです。



そんな勝鬨橋を渡って、今度は月島の町を散策。

月島といえばもんじゃ焼き。お昼時ということもあって、シャッターの閉まっている店がほとんどでしたが、なかにはこんな自販機も。

関西人のイマンモにはいまいち食べ物としての位置づけがピンと来ないもんじゃ焼き(食べたことはある)。

そのお好み焼きとのポジションの違いなんかをレイ分隊長や引率の川﨑パイセンに説明してもらっているうちに、あ、見えてきました佃島。



実は江戸時代まで、東京湾に浮かんでいたのは、この佃島だけ。

先ほどまで歩いていた月島などは明治になってから埋め立てられた土地なのです。

古地図で見るとこんな感じ。


逆に言えば、佃島だけは江戸時代から、東京湾の漁師たちの拠点として重要な場所だったんですな。佃煮もここに由来してます。


そんな佃島になぜか小さな神社が。その名も住吉神社。


え、住吉神社いうたら大阪の有名神社やんけ?と思いますよね。

実は佃島は、大坂は摂津佃村の漁師たちが移住してきたことで漁業の拠点として発展した島でした。

本能寺の変で危機に陥った徳川家康を救ったのが、この摂津の漁民たち。その恩に報いるため、家康は江戸幕府を開いた後、この地に佃村の漁民たちを誘い、漁業権を与えたのだとか。しかも年貢なしで。

なんてことが、この住吉神社の説明に書いてありましたよ。


神社参詣の後は、潮の匂い混じる隅田川を眺めながら昼食。



わいのわいのやった後、この日、最後の目的地、水天宮に向かいます。


そして、到着しました人形町。そして水天宮。

って、マジか。

なんかコンクリートで出来た建物の二階に社殿があるんですけど。。


なんか変な感じがしましたが、無事到着! 本日3度目の神社参拝。


この水天宮は珍しいことに、安徳天皇や建礼門院徳子、二位尼を祀っています。

何でも壇ノ浦の戦いを生き延びた平家の女官が九州の久留米にて祠を建てこれら平家の御霊を祀ったのがはじまりだとか。

やがて江戸時代、久留米藩主だった有馬氏が江戸の地に分祀したそうです。



こんな感じで本日の佃島を中心とした散策も終わり。

最後は人形町のあま酒横丁でちょっとしたお土産なんかを買ったりして解散しました。




さて、今週はどこにいこうか。

江戸東京博物館が4月から改装工事で数年閉まっちゃうし、3度目だけと行っとこうかな。

そんなこんなを、また火曜に話し合って決めたいと思います。


それでは、それでは!









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